家康も跪く、茶々の生涯貫く魂の強さ
『茶々 天涯の貴妃(おんな)』を劇場にて鑑賞して来ました。
生誕100周年の迎えた井上靖さんの「淀どの日記」が原作であることを知りました。
織田信長の姪として、女帝と崇められ、豊臣秀吉の側室となり、関が原の乱では、家康も跪く程、勇敢で生涯貫く魂の強さに翻弄され、女性の生き抜く逞しさに頭が下がる思いが心の中で張り巡らされた。
戦国時代に生きる女性は、血も涙も無い
戦国時代を生き抜く茶々の波乱万丈を虐げられる人生。男社会に揉まれながら、天下統一制覇の野望の波乱により、囚われ人・嫁ぎ先などが否応なしに、全てが振り回されてしまうリスクを孕んでいる。決して逆らうことが出来ず、裏切りや所詮女だと見下されることも・・・。その配下の中で侮辱たる強い念を抱きながら、天下を目論む芯の魂の強さは、並大抵のことでは無い。女性として生きる道は狭き門であり、血も涙も無いことを思い知らされた。
憎い仇を持ちながら複雑な心境が蠢く茶々
茶々・はつ・お督は、信長の妹・お市の方と浅井長政との間に生まれた三姉妹。しかし、1573年無残にも信長は、裏切りものとして長政の首を取り(処刑)、お市の方と三姉妹は、織田家の重臣の元へ余儀なく身を寄せることになる。
1583年、次は関白となって姓を改める豊臣秀吉が頭角を現し、信長の亡き後に無残にも攻められ、お市の方が自らが自害を決意する。その後三姉妹は、秀吉の囚われ人になり、茶々を残して、2人の妹は嫁ぎに出て互いに離れ離れになることへの宿命を背負われた。
一人残された茶々は、秀吉の根回しで大蔵卿から世継ぎの話を持ちかけらた。一時は拒んだものの、天下取りの目論みを条件に請け入れるのであった。しかし、茶々には両親を死に追いやった憎い仇を持ちながら、生きる為には現状を請け入れねばならない複雑な心境を鑑みることが出来ます。秀吉から聚楽第に招かれ、共に一夜を過ごした初日、茶々は、就寝中の秀吉に刀を振り下ろそうとしたシークエンスは、切迫感が漂いました。もし、あの瞬間に秀吉が目を覚ましていたらどうなっていたのか?茶々の人生の行方が恐ろしくも思えました。
第一の子 鶴松の謎の死を遂げた茶々の悔しさ
茶々は、秀吉の心優しい心情に触れ、半ば憎き仇を企む殺意が和らいでいく。やがて、待望の鶴松が誕生、しかし、陣中見舞いに赴いた留守中に謎の死を遂げてしまうのであった。秀吉は、「私の子をどうしてくれるのだっ!」と茶々を厳しく叱責した。この時代は、男社会中心の天下争いが反映している赴きを感じ取りました。
無残にも、「女性は子供を産む道具である」という風潮を何となく感じ取り、茶々が鶴松を一回も抱くことが出来なかった悔しさは、痛いほど伝わってくるような臨場感でした。
三女の小督は、心配して姉(茶々)の元へ訪れる。秀吉の前で、「世継ぎの為に代わりに産みます」と、自ら体を投げ出そうとしたのである。過去に姉(茶々)に命を助けてもらった恩義と姉妹の強い絆で結ばれている心意気を悟りました。
秀吉は、茶々を助けようと決死の覚悟で臨む小督の心情に打たれ、茶々を許そうと詰め寄ったのだった。しかし、茶々は、「小督は太閤(秀吉)様が手を出せば、自ら命を絶つでしょう」と秀吉を突き放したのです。流石の秀吉でも、頭が上がらず、「もう一度、子供を産んでくれ。頼む・・・」と跪いて茶々に申し送りすることとなった。
ここには、小督を一人の女として認め、女として生き抜く魂の強さを鑑みることが出来る。一方では、秀吉が「天下の世継ぎは、茶々にしか出来ない」と崇めているような心情も伺えました。
茶々の女帝としての予兆
やがて、茶々に第二の子 秀頼が誕生。しかし、間もない中で、秀吉の策略によって、小督が家康の跡継ぎ・秀忠に嫁ぐことになる。茶々は、「もし、豊臣家と徳川家が戦うことになったとしても、どちらかが生き残れば私たちの勝ち」と目論む強さは、後々関が原の乱での戦いに継承されていくのであった。ここは重要な伏線を敷く、キーワード的な要素であり、茶々の女帝としてのベールが剥がされる予兆であるとも伺えます。
秀頼を支える母親と太閤(秀吉)への遺志を貫く
1598年秀吉死去とともに、水面下で徳川家康が天下統一の策略を企みが、勢力拡大への頭角をあらわにしていく・・・・・・・。
それから10年後、家康が兵を挙げて、豊臣の牙城、大坂城を明け渡す様、和議書を送りつけた。しかし、秀頼(茶々の第2の子)曰く、淀殿として崇められた茶々は、宣戦布告を突きつけた。太閤(秀吉)様から「この城で秀頼とワシ(秀吉)を守ってくれ・・・」と遺志を受け継いでいる。絶対にこの城を明け渡す訳にはいかない・・・・。淀主として秀頼を支えるお母さん的な存在感と信長の血を引く勇ましさの2面性が鑑みれる女帝としての茶々、今現代でもビジネスの世界に揉まれながら生き抜く姿を投影するような面持ちに晒される気持ちにもなりました。
家康の策略にも屈しない最期まで己の生涯を貫く茶々
茶々は、家康が統一制覇を目論みながらも豊臣家に配慮する気持ちを踏みにじったのです。
家康の兵力は20万人に対し、豊臣わずか5万人程、家康の趨勢は歴然で、大坂城を完全に包囲し、豊臣家は完全に万事休す状態、茶々は終焉を告げた。
家康の目論みは、大坂城の天守ありきで、茶々に「俺に跪け~っ」と悔しがりる男のプライド的な心情が読み取れました。しかし、茶々は、自ら自害を決意して、太閤様(秀吉)のいる天守をすべて焼き払ってしまったのであった。流石に家康もこれには、圧倒され跪いてしまった・・・・・。
大坂城の天守が消失され、関が原の乱による兵力大打撃と傷跡を残すのみとなってしまったのです。茶々の「どちらかが生き残れば私たちの勝ち」を最期まで全うしたことになる。生き残った2人の妹(はる・小督)にも、生きるすべをしっかりと授けたのです。豊臣家として秀頼に嫁いだ小督の娘・千の命を救ったことも、姉妹の誇りと信念を貫き通したことなんだと、つくづく思いを馳せられました。
家康も躓く程、男の野望にも屈しない、茶々の生涯貫く魂の強さでした。
『茶々 天涯の貴妃(おんな)』





